本日、住んでいる街の夏祭りに行ってきました。引っ越してきたのが6月なので、これが初めての祭りになります。
僕の住んでいる街は、都心から少し離れていて、かつまだまだどマイナーな街で、決して憧れられるような街ではありません。でも、なんか希望に溢れています。静かな街ですが、これから何かが始まっていくような静かな高揚感がある街です。
街を愛する気持ち
で、祭り。思っていたよりも本格的でした。正直、なめてました。祭りの実行委員の皆さん、きっとこの街を愛しているのでしょう。盛り上げてやろうっていう気合が、ものづくりの精神がビシバシ伝わってきました。
並ぶ屋台はよくある露店ではなく、どこも本格的な料理を出す店が並び、街の象徴でもある大きな公園の広場には巨大な櫓と提灯が並び、そこで夕方からずっと盆踊りが行われていました。様々な人がその盆踊りに参加していて、とってもピースフルな空気が充満していました。僕がビールが飲めたなら、きっとビールを片手にこの光景を見ていたのでしょう。
地域コミュニティ
以前にも書いたことありますが、不動産とは「動かない財産」という方がいました。僕、これはすごく納得で、「ああ、僕は家を買ったということはもう自由は利かないんだ」と思ったものです。そしてこの時の感情はどちらかというとネガティブでした。
ただ、今日この祭りの「ここを愛する気持ち」を感じて、別にそれも悪くないんじゃないかなとも思いました。
帰ってくる場所、家がある、という事実はそれだけで素敵なものです。エヴァンゲリオンのミサトさんも言ってましたね。
僕は父の仕事の影響で、故郷という概念を持ちません。小学校だけで3回も変わっています。だからか、特定の人や特定のコミュニティに所属するという感覚がいまいちしっくりきません。
そんな僕が自分で選んだこの土地。そこを愛し、そこで生活していくというのは、それはそれで意味があるし幸せなことなんじゃないかと。
それでも繋がる
色々と感じるところがあって、僕は最近、繋がりというものに非常に疑心暗鬼です。基本的に、もう色んな人を信用するのはやめようと思っています。
SNS時代の文脈を引っ張り出してここ数年の人間関係の繋がり論を展開するのは簡単でしょうが、それはもうここではしません。ただただ、人と人との繋がりなんて所詮は一期一会なんだと感じています。意図的に作った人間関係は、いつか終わるだけです。もうそこに期待するのはやめよう、と。
だからこそ、今日の祭りは、居心地が良かった。お互い素性も名前も知らないから繋がりなんてない。でも、祭りという接点で、たまたま近所に住んでいる人同士が集まり、そしてまたそれぞれの家に帰っていく。そこの人間関係に、意思なんてありません。
思えば僕は、昔からこうした地域の祭りというものに楽しんで参加したことはあまりありませんでした。理由は単純で、そこに属しているという感覚が持てなかったからです。その街に自分が歓迎されていると思えなかった。
でも、それでもいいんじゃないか、と思えたのが今日の祭りでした。僕がそこが好きならばそれでいい。そして誰かは知らないけど、同じような人たちが集まって、一瞬だけ同じ思いを共有できる場所、時間。祭り。
来年も行こうと思います。今日は屋台の行列とか櫓の近くの場所取りとか、思わぬ苦戦もあったから、ちゃんと計画立てて。