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こっそり妄想徒然紀行

どうでもいい事をそこそこ真剣に、ゆるーく考えるブログ

facebookの顔写真をフランス国旗にすることについて

diary

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パリのテロは日本人にとって自分ごとなのか?

パリで同時多発テロが起きました。知り合いの学生さんが何人かパリに留学中ということもあって、個人的にもショッキングな事件です。どうやら知人は全員無事のようなので良かったのですが、ただ同時に思うのが、僕は知り合いがいるからこの事件を自分ごととして捉えられたのだろうなあということ。

そしてFBで大勢の人たちのプロフィール写真がフランスの国旗に変わっていきました。

そして時を同じくして、こんな記事が僕のFBのフィードに流れてきました。

note.mu

ロンドンに留学している友人が「レバノンだって昨日200人死んだのに」と投稿していて、それが異常にシェアされてました。

そう、ある事件は僕たち日本人にとってとっても重要で、ある事件は僕たちのところには届きもしないのです。

まあ、地球上すべての死に涙してるわけにはいかないので、もちろん現実的には仕方ないのでしょう。ただ、個人的にはこの件の一つの象徴としてFBの顔写真フランス国旗化の話があって。

気持ち悪いのは、勝手にコミュニティされてそれが強迫観念になっていくこと

僕、この写真を変えるということはしてないのですが、変える人はどういうつもりで変えるのだろう、と。追悼の意を表するのはわかりますし、きっと悪意があってやってるわけではないと思うのですね。本当に、ただただパリの人たちに向けてやったことだと思うのです。ボタンひとつでできちゃうし。

ただ、この世界中がフランス国旗に変わっていくことで、きっとフランスの人たちは勇気付けられるんでしょうけど、同時にイスラムの人たちを追い詰めていくことになるんだろうなあという気がしています。

この写真を変えるということは、何らかの意思表示をしているという行為だと思うのですが、本人以外の人から見たらどういうつもりで変えたんだろう、と想像力が介入してしまう。そして、想像の方向性によってはご本人の意図していない解釈をされることだってあるでしょう。何か一言コメントを添える機能があればまだ良かったんですけどね。

何故、フランス国旗なのか

にしても、何故国旗なんでしょうかね。「私はフランスの味方!」とFBを通じて世界中に発信してるようなものですよね、これ。ボタンひとつで、勝手にある種のコミュニティが出来ていってしまう。それがSNSのすごさであり怖さであり、そうしたメディアの特性までちゃんと考えて国旗に変えてるのだろうか、と(多分そこまで考えてない)。

でも、少なくともフランス国旗なのは解せない。一番わかりやすいのは間違いないですけど、支持すべきなのも批難すべきなのも国家じゃなくてイズムだと思うんですね。

テロ行為が許されるわけないし、罪もなく犠牲になったフランスの人たちに非はないし、今回の件について責められるべきなのはテロリズムなのは間違いないです。ただ、それがなぜ起こるのか。そこんとこ、やっぱ考えた方がいいんじゃないかなあと。

すでにもう、まともじゃありません。いくらテロリズムを合理的に批難しても、大して効果はないでしょう。

 

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