先日起きた熊本の大震災。震度7と最初聞いて、随分と久しぶりにテレビをかじりつくように見ました。
多分、多くの人がそうだったと思うのですが、「東日本大震災の時のあの感じ」を思い出しました。
あれから数日ー。依然として熊本では厳しい状況が続いているようですが、東日本大震災と異なる点があります。
それは、周囲の関心です。
*不謹慎なことを書きます。心象を害される可能性がありますが、僕が感じていることをそのまま書きます。ご了承ください。
どこか他人事だと思う
いや、もちろん全員とは言いません。ただ、僕の周囲の人はそこまでの関心を持っていないように見えます。誤解を恐れず不謹慎なことを言いますと、昨年起きたパリの銃乱射テロくらいな感じです。*どっちが重いとか軽いとかそういう話ではありません。
僕は東日本大震災が起きた一ヶ月後に石巻に行き、死体の匂いと海の匂いが入り混じったあまりに強烈な匂いに包まれた街を見て、相当なショックを受けました。復興なんてまるで始まってもいない状態を見たせいか、トラウマレベルでして、熊本でもあんな感じなんだろうか、と思っていて、個人的には落ち着かない日々を過ごしています。
で、それに比べて周囲の(関東圏の)人たちは、他人事なような気がするんです。これが僕には結構違和感でして。
で、なんでなんだろうな、と思ったのですが、思うに、理由が三つあります。
津波が起きていない=死者が東北より少ない
東日本大震災の時は、津波による大勢の死者が出ました。またそれによって原発の問題が起きました。
対して、熊本では今の所そうした事態は起きていません。すいません、本当に不謹慎なことを言いますが、人々の意識の中での被害の甚大度でいくと「東日本大震災>熊本」なんだと思うんです。
東日本大震災の時にビートたけしが「何千人死んだという死んだ人の数の問題じゃない。ものすごく悲しい出来事が何千個起こってしまったと考えるべきだ」的なことを言っていて、その通りだと思いました。
確かに、死者の数は東北に比べたら少ないかもしれない。でも、それで亡くなった方の命の重みが軽いわけじゃない。そして、現地では今も不安で押しつぶされそうになっている人々が沢山いる。比較するべきじゃないのです。
僕たち自身が被災していない
次に大きいのがこれです。関東圏でも少し揺れたということですが、特に大きな被害にはなっておらず、僕始め、多くの人は「気付いてもいなかった」わけです。
所詮、僕らは自分の経験した範囲でしか想像力が働かず、経験外のことを見せられても当事者意識を持てないのです。
自粛するのは間違ってるモード
ホリエモンやらサッカーの本田やら、「自粛するのは間違ってる」としてテレビ番組などの自粛路線を批判しました。そして実際に、テレビをつけると芸能人がくだらないことでゲラゲラ笑っています。
いや、それ、どうなんだろう、と。極度な自粛モードは確かに違うと思います。実際僕も、こんな記事書いておきながら、一個前の記事では相当にどうでもいい、下劣な記事をアップしています(記事自体はもう数週間前に書いてあったものですが)。
ただやはりそこはメディアの影響力を考えて欲しいな、と。テレビで日常的な風景を流してしまったら、僕らの注意や意識はやっぱり日常になってしまうんです。
熊本の情報が、お笑い番組と並んで消費されていくコンテンツの一つになってしまうんです。それでは、当事者意識なんて持てようがありません。
なぜ、僕たちは学べないのか?
当事者意識を持てない関東圏の人ばかりを責めるつもりはありません。実は僕、東日本大震災の直後、福岡に日帰り出張で行ったことがあります。
その時も現地の人に「なんか関東地方、大変みたいね」と相当に気楽なコメントを言われたことを覚えています。
だから今回の関東の人が悪いわけではなく、僕たちはもう、人間として、当事者にならないと学べない生き物なのだ、ということなんだと思います。
「まさか自分がこんな目にあうとは」と、熊本の人々も思ったと思うんです。彼らだって、当事者じゃなくても東日本大震災のことは知っていたはず。
今回の地震は、同時多発的に各所で起きているそうです。「まさか自分が」と熊本の人が思ったように、ひょっとしたら他の地域の人も今後同じ思いをするかもしれない。
でも、それが、どうしても、リアルに、自分に響いてこない。
そしてそれは、僕も同じです。熊本の被災状況は逐一チェックしていて、熊本の友人たちの無事を確認し、緊張感を持っています。
僕は関心は持っているものの「他の人を心配している」状態です。つまり、自分にも同じことが起こるとは到底思っていません。
これが僕には、自分のことながら、悲しいし、不思議です。いつか僕も「ああやはり防災対策しておけばよかった」と思うのかもしれません。
熊本の皆様がこれ以上被害が拡大することないよう、祈っています。