先日、アジカンの20周年ライブ@日本武道館に行った。
一緒に行くはずだった人が急遽来れなくなった、ということで知人に誘われたのだ。
ということで、もともと行くつもりではなかった。加えていうならば、僕はアジカンのライブは初めてだ。
ただとはいえ、僕はアジカンについて素人かというとそうではなく、昔からのファンだ。
メジャーデビューの頃から知っていたし、君繋ファイブエムのタワレコのポップに書かれた直筆のメッセージを目撃したのも覚えている(「まだまだ駆け出しでお金ないのでアルバム買って僕らの朝食にシャケを追加させてください!」みたいなことが書かれてた)。
アルバムは全て持っているしソルファ2016は結構聴き込んでいると思う。まあ、それ位にはアジカンが好きなのだけど、今回初めてアジカンのライブを見て衝撃を受けた。
悪い意味の、衝撃だ。
アジカンのファン層ってこんななの!?
何に衝撃を受けたかって、一番の、というかつまりはこれだけなのだが、アジカンのファンに僕は驚いたのだ。
年代は30代前後で男女のバランスは半々くらい。まあこれは予想どうりだったのだが、場内が暗転し、ライブが始まった瞬間、周囲の観客は立ち上がり、手を振りかざして肘から上を前後させてリズムをとり、合いの手を入れたり歓声をあげたりしている。
これは、ひょっとしてアイドルロックなのではないか。
僕は、そう思ったのだ。そしてフロントマンである後藤正文、通称ゴッチのMCに黄色い声をあげ、会場内みんなで彼のちょっとした茶目っ気に笑い声をあげる。バンド結成20周年を祝う、ピースフルでハッピーな時間。
そこには、バンドとファンが一体となった、温かい空気感で包まれた空間があったー。
って、おい、それでいいのか、と僕は思ったのだった。
ロックは誰のための音楽なのか
いや、分かってる。音楽の楽しみ方なんて人それぞれだし、正しい聞き方を定めること自体がナンセンスだ。あの日武道館にいたアジカンファンは100%正しい。
ただ、それなら僕のスタンスだって正しいはずだから僕なりの感情を言わせてもらう。
MCの中で後藤さんは「昔、oasisにのめり込んでいて、そういえば若い頃、俺はロックスターに憧れてたんだと思い出した」みたいなMCを入れていた。
僕だってoasisが大好きだ。僕はoasisに人生を変えてもらったと言っても過言ではない(多分oasisファンはみんなこれ言うと思う)。
あの頃、僕らはクソみたいな現実が嫌で、ここじゃないどこかへ行きたいと願っていて、周囲の奴らがみんな大嫌いだった。そしてそんな自分は、どこまでも惨めだった。
周りに同調してくれるやつなんて一人もいなかった。だからこそ僕らは、ロックミュージックに鼓舞された。反体制、カウンターカルチャー。ロックとは、反発することだ。世間に中指を突き立て「No」と叫ぶことだ。
そう、間違ってもハッピーでピースフルな世界観じゃない。みんな同じような格好して、同じような振り付けして、小話に「あははは」みたいな愛想笑いで武道館を埋めるようなことじゃあ絶対にない。
昔、radioheadは「ギターを持てば誰でもロックバンドになれる」と皮肉った。四人だか五人でそれぞれ違う楽器を持たせれば、もうそれでロックバンドは完成だ。ロックの魂なんて入ってなくても、「ロックバンドです」と名乗ればそれはもうロックバンドなのだ。
そして女子にキャーキャー言われてればいいのだ。アイドルロックバンドはそれはそれで需要はあるのだ。
でもさ、アジカンは違うだろう。お前はどこまで言っても冴えなくて、くるりやナンバーガールなどの音楽偏差値高めなバンドにいつもコンプレックスを持った、チビで垢抜けなくて目立たない少年だっただろう。
そんなやつがギターを持つと極上のポップソングを創り出し、口をひらけば迫力のシャウトが耳をつんざく。ベースとドラムのウネリとギターの前のめりなノイズに自分のフラストレーションを預ける。
そんなバンドだったから、僕らは同族意識が持てたし、不甲斐ない自分をバンドに重ね合わせることができたのだ。
ここじゃない、「遥か彼方」を夢見るストーリーに、僕らは同調していたはずなのだ。
僕にとってロックミュージックとは、戦闘音楽だ。煮え切らない自分に、どこまでもクソな社会に対して戦いを挑む時の音楽だ。決して、現実逃避のための音楽じゃないのだ。
希望、衝突、軋轢、そしてその末の別離ー。
それが、ロックバンドの正しい在り方だと思っている。
それが今はどうだ。いつの間にか消えて行くバンドの方が圧倒的多数を締めるなかでうまく時代に乗り、ロックバンドにしては長い結成20年と言う節目を迎えてしまったのだ。日本武道館を黄色い声援で埋め、全員が肘から上でリズムをとるのだ。
勿論、あそこにいたファン達がどんな人たちなのか僕は知らない。100%偏見に満ち満ちたイメージでものを言ってるのは百も承知だ。
だがあの空間に渦巻いていた空気は、僕は嫌いだ。物事の都合の良いところだけを適当にすくい、弱音と愚痴と悪態を口にしながらそれでもそこそこいい人生を歩み、リスクは負わない、そんな人たちに見えた。
それでもアジカンのポップセンスはすごい
ライブ自体は悪くなかった。往年のヒットソングから先日リリースされたソルファの2016版もアルバムを全てやりきった。ソルファに含まれる「サイレン」、僕がアジカンに目覚めた「君という花」、大好きだった「新世紀のラブソング」が生で聴けただけでもよかったし、アジカンのライブがそうなのか今回が特別なのかわからないけど3時間というサービス精神満点のライブだった。
どの曲も必ずフックがあって聴きやすいし口ずさみたくなる。ライブステージの映像を使った演出も派手だったしカッコ良い。そういえばアジカンは中村佑介のアルバムジャケットデザインも見どころの一つだったから、こういうビジュアルとセットで世界観を捉えるのが正しいんだなと改めて思った。
ただ、ファンの世界が違うのだ。まあ、薄々分かってはいた。ネットとかでアジカンのライブ動画を見ると、どうやら僕が思い描いているバンドの世界観と少し違うな、と感じていたのだ。だからこそ、僕はこのバンドのライブに、こんなに好きなのに今まで参加してこなかったんだと思う。
アジカンが作りたかったのは、こんな生ぬるい世界だったのだろうか。一人で聞いている時に心に響いていた歌詞が、もはや広告マーケティングのための歌詞にしか聞こえなくなってしまった。
アジカンは好きだ。これからもずっと聴き続けるだろう。でも、僕だけの世界で見ていたい。だからもう、ライブには行かないと思う。たとえチケットをもらっても。
*勢いで書いたため、いつもと違う文体になってしまいました。いつもはゆるーく書いておりますのでそこのところよろしくおねがいいたします。
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