元大関、把瑠都の大晦日参戦が決まりました!まぁ正直、相撲ファンではないので把瑠都参戦にいきり立ったわけではないのです。でも、相撲取りが格闘技やるなんて意味あるのか?とお思いのそこのあなた!これこそが格闘技なんです。スポーツじゃないんです!短くまとめるので、読んでって!
かつて曙がカエルになった大晦日、その日、紅白を越えた。
轢かれた蛙ではありません。曙選手です。衝撃的な格闘技参戦発表。当時絶大な人気を誇ったボブサップとの一戦。曙選手はしっかりトレーニングを積み、パンチもそれなりに様になっていました。そして、果敢に挑んだ結果がこれです。まあ、なかなか見るも無残でした。ちなみにその後、曙選手はアーネストホーストにも挑み、こうなりました。
この時はプッチンプリンとネットでは騒がれました。まあ、曙選手は残念ながら格闘技ではほとんど実績は残せませんでした。
何故、相撲取りが格闘技のリングに上がるのか
相撲と格闘技、それぞれ一対一での肉弾戦という意味では共通なものの、パンチキックが飛び交う格闘技は、例え相撲界で横綱まで上り詰めた選手でもなかなか通用しません。まるで別競技だからです。
では、今回の把瑠都は何故参加するのか?勝ち目はあるのか?上述した通り、僕は相撲は全く詳しくないので詳しくは知りませんが、把瑠都選手は角界でも有数の怪力の持ち主であり、また運動神経も相当良い、そして弱くて引退したわけじゃなく、怪我が理由で泣く泣く引退した、そうです。曙のような脂肪で巨体なわけではなく、頑丈な筋肉を身にまとっているそうです。
じゃあ、格闘技はいけるのか?それはそうは簡単にはいかないでしょう。では何故、リングに上がるのか?それは、格闘技が幻想を餌にする競技だからです。スポーツのような技術や勝負論ももちろんありますが、「一体どれくらい強いんだろうか?」という幻想が、僕たち観客の妄想を掻き立てるのです。
意味不明なロマンこそ、格闘技の魅力
普通にやったら勝てない。でも、ひょっとしたらとんでもないことが起こるかもしれない。その期待感と幻想、ロマンが、格闘技を見る醍醐味だからです。
把瑠都選手が格闘家として大成するかどうかに関心があるファンはおそらくほとんどいないでしょう。
でも、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
あの巨体が、怪力とともにぶつかっていったら、一体人間の体はどうなってしまうんだろう?その妄想こそが、ルールでしっかり規定された現代スポーツとは異なる部分なのです。現代には、こういう「わけのわからなさ」が必要です。ロジカルシンキングとかほにゃらら戦略とかそういう意識高い世界観だけでは通用しない世界が、あるのです。
というわけで、皆さん、把瑠都選手、期待しましょう。
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